シュテファン・バチウという詩人を知っていますでしょうか?
詩人、批評家、ジャーナリスト、アンソロジスト、翻訳家、外交官…多岐に渡る肩書きと、生涯を通じ6ヶ国語で100冊以上も詩や評論による出版をしてなお、知る人ぞ知る詩人であったバチウ。ルーマニアからスイス、ブラジルはリオデジャネイロ、ラテンアメリカをへてシアトル、そしてハワイはホノルルといくつもの海を超え、まるでそれは宿命であったことの様に一所に留まることなく自由と真実をもとめ闘い生きたひとりの詩人です。
この類まれなる評伝は、著者である阪本 佳郎さんが実際にルーマニア、スイス、ハワイと移動を続けて調査し、バチウと親交のあった人々と彼の愛した地をめぐり、膨大な時間をかけた歩く調べによるもの。ルーマニアの古書店で出会ったという詩誌「MELE」、ハワイ語で”詩や歌、祈り”を意味し、その名の下にバチウが各国で出会った詩人や芸術家らの作品を多様な言葉と表現とともに詩の国際便と称して発行していたもの。本書ではその1つ1つの関係性に着目し、この類まれなる詩誌に集う人間の、ごく私的な文学活動の記録を残す類書のない1冊です。
本書の中よりバチウの詩をひとつご紹介いたします。
詩を書きたい
一杯の水のように簡潔な詩を
あるいは、テーブルの片隅に、子どもの手のひらに
忘れられた一切れのパンのような詩を
窓のように透明な詩を
それでいて、翼のなかの一塊の鍋のごとく心安く
軍トラックの間も縫って翔ぶ、街中の一羽の蝶のように重々しい詩を
詩を、
眼には見えないけれども、その響きは
幾百年ものあいだ囁く
川のせせらぎのように止めどない
言葉でできた詩を
『シュテファン・バチウ: ある亡命詩人の生涯と海を越えた歌』p.357より
言葉を信じるということはどういう事なのか、自由と真実に忠実なる亡命詩人”シュテファン・バチウ”。本書に触れた翌朝の世界はどのようなものになっているのでしょう。600頁という大著でして、とても一夜で読めるような本ではありませんが、一途な文学活動を知る真髄こもった1冊です。
(原口)