わたしはこの物語で、兄の意志をつかむ。
そしてそれを、確実なもののように扱う。
すると、兄はそこからさらに去っていってしまう。
それでも、兄の意志にふれたという感触は残る。
わたしたちは無から生まれて、無に帰っていく。
そのことの耐えられなさの中で、わたしたちは虚無さを過剰な意味で満たしてしまう。
知的障害があり、自閉症者でもあると言われる兄と、障害児と言われることなく育ち、世間が兄へ向けるまなざしに断絶感をおぼえていた弟。2021年3月、パンデミックの最中出された緊急事態宣言の下、突然しっそうした兄。そのことを主軸に呼び覚まされ、再び立ち返るさまざまな出来事。言葉という体系を用いず行動で、叫びで、疾走することで思考 / 意思を示す兄の言動を辿りゆくと、あらゆる世の不条理や個々の内にある確執と「戦っていない」ということに気づきます。それは決して殺伐としたものではなく、ただ各々の手段で日々をより良いものとしていく、ひとつの祈りを内に抱え生きていくということ。この物語上で挙げられる「兄のしっそうの線」「著者自身の思考と記述の線」「(障害とともにある)人類学の線」は直線的でなく、ときにはうねり、重なり、絡み合いながら展開されていきます。わかりあえない他者とともにあることで感知できる喜び、理解や共感を浮揚させ、無意識に引かれた境界線を超え生きていくこととは。当然のようにそこに在る事象、当たり前に抱く感情にすっかり飼い慣らされてしまったわたしたちの観念に語りかける実践の書。(韓)