鼻から大きく息を吸って、ゆっくり吐き出してみると、リズムが少し均される気がしませんか?こちらはそんな1冊です。
いつかの言葉にならなかったまなざしが、ふっと心に灯ります。児童文学作家、文芸評論家、翻訳家、随筆家と言葉について多彩な顔を持つ長田 弘さんの、詩人としての代表作です。
三毛猫
猫は、いつもそこにいた。晴れた日も、雨
の日も。寒い夜も、あたたかな夜も。白菜。
ネギの束。ナスの山。曲がったキュウリ。
泥鰌インゲン。タマネギ。カボチャ。キャベツ。
季節季節の野菜のあいだに、猫は、赤い首輪
をして、身をまるめて、じっと目をつむって
いた。
私鉄の駅のある街のちいさな通りの八百屋
だ。年のいった夫婦だけでやっている、気働
きのいい八百屋で、いつも夜おそくまで店を
開けていた。夜がふけてくると、店先に光り
があふれて、野菜も、猫も輝いてみえた。み
ごとな毛並みのおおきな三毛猫だった。
ある日、八百屋は店を休んだ。ちいさな貼
り紙があり、「猫、喪中」とあった。翌日、
八百屋は店を開けた。そして、いつもの場所
に、こんどはとてもちいさな三毛猫が、赤い
首輪をして、身をまるめて、じっと目をつむ
っていた。
-『深呼吸の必要』より